Diagonal R/kは、わたしがこれまでつくってきた中でも、特別な革ケースの一つです。
革ケースづくりを始めて間もない頃、右も左もわからない素人だったわたしが、自分なりに試作を繰り返してつくった木鋏ケース。それがDiagonal R/kです。
この製作に当たっては、「丈夫で、使いやすく、美しいものをつくりたい」という考えがありました。Diagonal R/kは、その考えをはじめて自分なりに納得できる形にできた木鋏ケースでした。
そして今振り返ると、この一つの木鋏ケースが、その後長く続くことになるわたしの革ケースづくりに、思っていた以上に大きな影響を与えています。
ただし、この形が最初からポンと出来上がったわけではありません。
仕方なく使っていた市販の木鋏ケースがあり、知り合いが使っていたハンドメイドの鋏ケースとの出会いがあり、壊れたベルトループを自分で補修したことがあり、そして革ケースづくりを始めてからも、いくつもの失敗作がありました。
今回は少し昔までさかのぼって、わたしにとって特別な一作であるDiagonal R/kが、どうやってできたのかを書いてみようと思います。
仕方なく使っていた市販の木鋏ケース
革ケースづくりを始める前、わたしが仕事で使っていた木鋏ケースは、ごく普通に市販されているこのようなものでした。

正直なところ、当時から気に入って使っていたわけではありません。これは汎用品ですから、この出来、この形、この値段が、多くの人が求めている最適解なのでしょう。
とはいえ、つくりは良くないし、見た目も安っぽい。そんなんだからダメになるのも早いし、何よりこれは自分基準では美しくない。
中でも特に弱かったのがベルトループです。
幅30mmほどの細い革がケース本体に付いているだけなので、仕事中に枝などへ引っ掛けると、そこへ負担が集中します。
そして、そのうちちぎれる。
わたしも何度かそんな目に遭いました。
今なら即座に、
「気に入らないなら、自分でつくればいい」
と思うところです。
ところが当時のわたしには、木鋏ケースを自分でつくるなんて発想はまったくありませんでした。
木鋏ケースというのは、店に並んでいるものの中から選んで買うもの。気に入らないところがあっても、「まあ、こういうものなんだろう」と思って使うしかない。少なくとも、その頃のわたしにとってはそんな存在でした。
そんな中、市販品とはまるで違う鋏ケースを使っている人がいました。
植木屋仲間のYさんです。
市販品とはまるで違ったYさんの鋏ケース
Yさんと知り合った当時、彼はハンドメイドの木鋏ケースを使っていました。
もちろん、わたしがつくったものではありません。当時のわたしは、まだ革ケースなどつくっていませんからね。
気になってある日聞いてみたところ、知り合いにつくってもらったものだということでした。それまでわたしが知っていた木鋏ケースといえば、先ほどのような市販品くらいです。
ところがYさんのケースは、それとは明らかに違いました。形も違う。革の質感も違う。つくりもしっかりしている。
「こんな鋏ケースもあるんだな」
とちょっとうらやましく思って見ていたことを思い出します。
ただ、それを見たからといって、
「よし、自分も革を買ってきてつくろう!」
とはなりません。
わたしは割と腰を上げるのが遅い人間なので。
Yさんとの付き合いの中で、その鋏ケースを何年も見ながら、「いいなあ」と思っていただけです。
それでも、それまで「店で売っているものを買うもの」だった木鋏ケースが、自分の使い方や好みに合わせて、人の手でつくることもできるものへと、少しずつ変わっていったのだと思います。
最初にやったのは、つくることではなく直すこと
そんなある時、使っていた市販の木鋏ケースのベルトループがちぎれました。またかよです。
これが、わたしが初めてまともに革を触った時だったように思います。
もう15年以上、ひょっとすると20年近く前のことなので記憶はかなり曖昧ですが、たしか東急ハンズあたりへ行って革を買ってきました。
当然ながら、レザークラフトの知識などほとんどありません。
革は布のようにそのまま針を刺して縫うのではなく、先に穴を開けてから縫うらしい。その程度の知識のみです。
そこでどうにかこうにか穴を開け、ちぎれたベルトループの代わりになる革を縫い付けました。出来栄えについては、たぶん褒められたものではなかったと思います。
ただし、頑丈さだけは違いました。元々付いていた軟弱なベルトループより、わたしが拙い技術で縫い付けた革の方がよほど丈夫だったのです。
とはいえ、ここから勢いよく革ケースづくりが始まった――というわけではありません。
そこまでの行動力があれば、たぶん今とは別の人生を歩んでおります。
本格的に革ケースをつくり始めるまでには、ここからさらに何年かの時間が必要でした。
2013年、仕事のない冬に革ケースづくりを始めた
それから何年か経った2013年の年明け、わたしは本格的に革ケースづくりを始めました。
では何か決定的な出来事があって、
「よし、今日から革ケースをつくるぞ!」
となったのかというと、そういうわけでもありません。
今振り返っても、はっきりとしたきっかけは自分でもよくわからないのです。
ある時突然、
「自分でつくる」
と思ってしまった。
嘘のないところを言えば、それくらいしか説明のしようがありません。
植木屋の仕事は、年が明けると比較的暇になります。特に2013年の年明けは本当に仕事が少なく、当然ながら仕事がなければ収入もありません。
その頃には第一子の娘もまだ赤ちゃんでした。
仕事はない。
収入もない。
しかし家族はいる。
そして貯金だけは律儀に減っていく。
なかなか愉快な状況ではありません。精神的にもつらい状況です。
そんな中で始めたのが、なぜかレザークラフトでした。自分が仕事で使う道具のケースをつくるのですから、完全な遊びというわけでもありません。
何より、革を切ったり縫ったりしている間は、仕事がないことや減っていく貯金のことを少し忘れていられました。
今思えば、かなり現実逃避に近かったのでしょう。
ところがレザークラフトというものは、始めるとなると案外お金がかかります。
仕事がなくて収入もない。
なのに革や道具を買っている。
「わたしはいったい何をやっているんだろう」
という後ろめたさはありました。
ところが、これが面白い。仕事がなくて気分は沈んでいるのに、革ケースづくりだけは楽しくて夢中になれる。
そんな矛盾した時期に、わたしは何度も木鋏ケースをつくっていました。
ボツの山からDiagonal R/kができるまで
昔の写真を探してみると、出てくる出てくる木鋏ケースの試作品。
自分では「3つくらいつくったかな」と記憶していたのですが、どうやらもっと試していたようです。人間の記憶というものはまったくあてになりませんね。

Diagonal R/kにつながる最初の試作
市販の木鋏ケースには「革絞り」という革の性質を利用した加工が使われているものがありますが、始めたばかりのわたしにそんな技術はありません。
ならば、別の方法で鋏を入れやすく、丈夫で、しかも美しい形を考えるしかありませんでした。
そうして考えた最初の試作品は、すでに後のDiagonal R/kにつながる片側縫いの構造です。

ところが完成してみると、肝心の鋏が入りませんでした。
紙で組み立てた型紙では問題なかったのに、実際の革には厚みがあります。その厚みが内側の寸法にどう影響するのかを、当時のわたしはまだ分かっていなかったのです。
仕事で使っていたCADで型紙を正確に描くことはできても、革の厚みまでCADが面倒を見てくれるわけではありません。
完全なる経験不足です。
その後はいったん別の構造も試しながら、何個も試作を重ねました。
そして最後の方につくったものがこちら。
ここまで来ると、Diagonal R/kとほぼ同じ形です。

結局、いろいろ試した末に戻ってきたのは、最初に考えた片側縫いの構造でした。
最初の発想が間違っていたわけではなく、足りなかったのは、それを革で成立させるための経験だったのでしょう。
こうして失敗を重ねながら、ようやくDiagonal R/kの形へたどり着きました。
丈夫で、使いやすく、美しいものをつくりたかった
当時のわたしが革ケースに求めていたのは、
「丈夫で、使いやすく、美しいこと」
でした。
まず、市販の木鋏ケースで何度も不満を感じていたベルトループ。
Diagonal R/kでは、ベルトループを後から取り付けるのではなく、本体と一体になった幅広い構造にしました。これならまずちぎれませんし、枝などに引っ掛かること自体も少なくなります。

そしてもう一つ特徴的なのが、鋏を入れると少し右へ傾いて収まることです。
これは見た目だけのためではありません。わたしは木鋏ケースを腰の真後ろにつけるので、右利きの自分がそこから鋏を取り出すには、少し右へ傾いていた方が自然です。
使いやすくしようと考えた結果、この形になりました。

使いやすさという点では、もう一つ工夫したところがあります。
ケース先端に設けた、ごみ抜き穴です。仕事で木鋏を使っていると、ケースの中には細かな木くずや葉などが入り込みます。
そこで底を完全に塞がず、入り込んだごみが下へ抜ける構造にしました。

少なくとも当時、わたしが使っていた市販の木鋏ケースにはなかった構造で、小さな部分ですが、これも仕事で木鋏ケースを使ってきた経験から、必須の要件として取り入れたものです。
そして、わたし自身が何より気に入ったのが、その姿でした。
当時は植木屋としてもっと上を目指したいという気持ちが強く、庭だけでなく建築やデザイン、日本の美についても熱心に学んでいました。
その影響もあってか、
「デザインは、できるだけシンプルに。無駄をすべて削ぎ落とした先にあるものが美しい」
と、少々極端なくらいに考えていたところがあります。
Diagonal R/kには、これといった装飾はありません。
丈夫にするための構造。
鋏を使いやすくするための傾き。
ごみを逃がすための穴。
必要なものを考えていった結果、余計なもののないシンプルなフォルムになりました。

最初に「これはすごい」と思えた革ケース
Diagonal R/kを実際に仕事で使ってみても、概ね狙い通りでした。もちろん、細かく見れば修正したいところはいくつかあります。その後、同じ形の木鋏ケースを何個かつくりましたが、そのたびに少しずつ修正を加えてはいます。
それでも、革ケースづくりを始めたばかりの頃につくったものとしては、今見ても十分によくできていると思います。
丈夫で、使いやすく、美しい。
少なくとも、この三つについては今でも間違っていなかったと思っています。
ものづくりをしていると、毎回100点と思えるものができるわけではありません。わたしの場合、50点、60点、うまくいって80点くらいで終わることの方がずっと多いです。
ところが、ごくたまに、
「これはすごい」
と、自分でも驚くほど満足できるものができることがあります。
Diagonal R/kは、わたしにとってその最初の一つでした。
完成したものを見たとき、ちょっと大げさですが、
「今までこの世になかったものを形にすることができた」
と感動したのを覚えています。
そして今思えば、その時の感動が、その後も革ケースをつくり続けてきた原動力の一つになっているのでしょう。
Diagonal R/kは、単に昔つくった木鋏ケースではありません。自分の中にあった「丈夫で、使いやすく、美しいものをつくりたい」という思いを、初めて満足できる形にできたもの。
そして、ものをつくる面白さを強く実感した最初の一作です。
だから今でも、わたしにとってDiagonal R/kは、革ケースづくりの原点ともいえる特別なものなのです。
Diagonal R/kとは逆方向に鋏が傾く木鋏ケースも、後につくっています。こちらには、また別の理由があります。
